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 前々回、前回に引き続き、尾藤監督について。

今回は、尾藤監督と関係の深かった人達のコメントを拾っていき、
そこから見えてくる彼の人柄を探ってみたい。


■東尾修


尾藤監督にとって東尾修氏との出会いは、
その後の人生を大きく変えるほどのインパクトだったようだ。


「東尾との出会いが人生を変えましたわ」
(07年に「ニッポン人脈記」のインタビューで、東尾修氏について)


「おれも監督1年生や。君も高校1年生。一緒に甲子園を目指そうや」
(1966年の監督就任を前に、有田市内のミカン畑で東尾修投手に)


=================<スポニチ 2011年3月9日>=================

さようなら尾藤さん 東尾氏「いい思い出は尽きない」

1968年春の箕島甲子園初出場時のエースで元西武監督の東尾修氏は
仕事の合間を縫って駆けつけ「一番の思い出はきょう、今です……」と
嗚咽(おえつ)交じりに言葉を詰まらせた。

「15歳と23歳で出会い、甲子園への夢を語り合い、それが実現した。
仲間を含め、いい思い出は尽きない」
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今年の1月、
東尾修氏の野球殿堂入りを記念したパーティーが和歌山で行われた。

そこに、闘病中の尾藤監督から音声メッセージが届いた。






=================<スポニチ 2011年1月24日>=================

東尾氏 恩師との“ミカン畑の会話”に目頭押さえて…


昨年1月に野球殿堂入りした東尾修氏(60=スポニチ本紙評論家)の
「祝う会」が23日、和歌山市のホテルで開かれ、
母校・箕島OBら300人以上が地元のヒーローを迎えた。

 がん闘病中で欠席した元箕島高監督の恩師、尾藤公氏(68)からは
録音メッセージが寄せられ

「ミカン畑の道を一緒に歩きながら
“甲子園へ行きたいなあ”と話したことを思い出す。

殿堂入りなんて、すごいなあ」
と声が流れると、東尾氏は目頭を押さえた。


 尾藤氏の言葉は続く。

「日本ハムに入った斎藤佑樹君が“仲間に恵まれた”と言っていただろう。
おまえも故郷の仲間やお世話になった方々を忘れてはいかん。
今後は恩返しで生きていけよ
 東尾氏は「尾藤さん……」と言葉に詰まった。

「今度は尾藤さんこそ殿堂に入るべき。資格は十分。皆さんもご協力ください」。
自身の晴れ舞台で恩師の殿堂入りを訴えかけた。

最近見舞いにいった際は「明るい会話ができなかった」と悔いた。
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「ほんまにおめでとう。
 まさか四十数年前にミカン畑で2人で歩きながら、
 甲子園行きたいなっていう夢を語ったおまんが殿堂入りするなんて……。
 すごいですね」

             (11年1月、東尾修さんの野球殿堂入りを祝う会にメッセージを寄せて)




■吉井理人


現在は、「祐ちゃん」こと斎藤佑樹投手の
専属広報的な扱いを受けている(?)・吉井コーチ。

箕島高校時代は尾藤監督の元で、甲子園に2回出場している。


=================<デイリースポーツ 2011年3月7日>=================

元箕島高監督・尾藤公氏の和歌山県有田市の自宅に7日、
日本ハム・吉井投手コーチやロッテ・上川内野守備走塁コーチらが弔問に訪れた。

吉井コーチは「安らかな顔をしておられた。
箕島に帰って来ると(尾藤さんのおかげで)昔の仲間や先輩と会うこともでき、
楽しい思い出しか出てこない」と語った。


=================<吉井理人ブログ 2011年3月6日>=================

わしの高校時代の監督、尾藤さんが亡くなりました。

野球で尾藤監督から受けた影響はない
(一般常識は、厳しく教えられた)と思っていたが、
最近、はっと気づいたことがありました。

尾藤監督は、投手に関しては放任主義だったのです。
(投手のことはわからないと言っていた)

フォーム、練習方法、配球、全ての投手に関することを選手任せにしていました。
そのおかげで、柔軟な頭で野球を考えられるようになりました。

それともうひとつ、ゲームは楽しむものということも、高校の3年間で教わりました。
日本のプロや大リーグで、ほんのちょっとでも活躍できたのは、
この頃の経験があったからだと思います。

今は、感謝の気持ちでいっぱいです。
(高校を卒業して疎遠になってしまったことを、今すごく後悔しています)

心から、ご冥福をお祈りします。
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■79年の星稜メンバー

毎年お正月の、松井秀喜との2ショットでもおなじみ。
現在は星稜高校の総監督を務めている。


星稜高校の山下総監督は
「延長18回の試合のことが、ここ2日間、夢に出る。
 寂しい。宝物を失った」。





当時の一塁手で、試合で“運命の転倒”をした加藤直樹さんは
「僕のことばかり気にしていてくれ、懐の広い人です。
 今年の年賀状は1枚じゃ書き足らず2枚送った。
 もっと話したかった」。




智弁和歌山・高嶋仁監督

甲子園での勝利数・歴代1位を誇る、この人からも。

智弁和歌山の高嶋仁監督は
「超えることのできない人と思っていた。打倒箕島を目指してやってきた」
と喪失感を口にした。





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