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 前回に引き続き、尾藤公・元箕島高校野球部監督について。


===========<ABC NEWSゆう+ 2011年3月7日>============


1968年
和歌山県有田市にある箕島高校が
センバツ甲子園に初めての出場を果たします。




無名の公立高校の快挙に、小さな町は沸き立ちました。




チームを率いていたのは
25歳の青年監督・尾藤公さんでした。




2年後のセンバツ大会で
早くも全国制覇を成し遂げた箕島は
77年と79年のセンバツでも優勝。

そして79年の夏には春夏連覇を達成。




「(79年夏の対 星稜戦は)個人にとって
 全く宝物の様な試合っていう風に、感じてます。」




去年9月
1979年の箕島・星稜戦を戦ったメンバーらによるOB戦が
初めて甲子園球場で行われました。




癌で闘病中だった尾藤さんは
「絶対に甲子園に行く」と
気力を振り絞り車椅子で球場入りしました




ユニホーム姿でグラウンドに立った尾藤さんを
大勢のファンが出迎えました。




「あぁ、うわぁ、ようさん来てくれちゃあるなぁ。
 有難うございます。」





40年以上通い続けた甲子園。
尾藤さん程、甲子園の似合う野球人はいませんでした。




そしてこの日が尾藤さんと甲子園の
別れの日になりました。




「甲子園っていう所は・・・
そうやなあ・・・(絶句)。




僕にとっては
親父の様に、ものすごく厳しい所やなって感じたし、
おふくろの様にやさしいなあ、とも思ったし、

一方的に怖いなあっていうだけの所ではなかったし、

かと言って、一方的に優しいなあ・エエとこやなあって
そればっかりでも無かったし、

両方を持ち合わせてる所かなっていうのは
ずーっと感じてきましたね。

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尾藤元監督の語録
朝日新聞 2011年3月7日

「僕にとって甲子園というところは長嶋さんに似ている。
 永遠のあこがれという意味で」

                (95年、29年間の監督生活を退任して)


「命のほうは延長16回くらいまで来ているのかなあ。」
                (闘病中の09年7月、朝日新聞の取材に)





尾藤公 享年68

ご冥福をお祈りいたします。




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