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野球王国・和歌山。

その歴史は意外にも古い。

第7回(1921年)・8回(1922年)大会の優勝校、和歌山中(現・桐蔭高校)や
第25回(1939年)・26回(1940年)大会の優勝校、海草中(現・向陽高校)。

1990年代以降から現在にかけては、春夏3度の優勝校、智弁和歌山。

その時代時代において、
多くの和歌山人が、甲子園で活躍する和歌山県勢に心を踊らせた。


そして忘れてはいけないのが、
1970年代に大活躍を果たした、箕島高校。

その活躍は、「野球王国・和歌山」を不動のものにした。


そんな箕島高校野球部の元監督・尾藤公氏が亡くなった。

=================<毎日新聞 2011年3月6日>=================

訃報:尾藤公・元箕島高野球部監督 全国制覇4度の名将


和歌山県立箕島高校の野球部監督として、
79年の春夏連覇など甲子園で4度の全国制覇を果たし、
ダッグアウトから選手を見守る「尾藤スマイル」で知られた尾藤公(びとう・ただし)さん
=日本高校野球連盟技術・振興委員長=が6日、ぼうこう移行上皮がんのため死去した。
68歳だった。

(中略)
 箕島高の4番・捕手を務め近畿大進学後に腰を痛めて中退。
3年間の銀行勤務を経て66年に23歳で監督就任。
68年の第40回選抜高校野球大会では東尾修投手(元西武監督)を擁して
甲子園初出場を果たし準決勝に進んだ。

島本講平投手(元近鉄)らがいた70年春には決勝まで勝ち上がり、
北陽(大阪)に延長十二回サヨナラ勝ち。初の全国制覇を成し遂げた。

 一時監督を離れたが74年秋に復帰し、77年センバツで再び全国制覇。
79年春は決勝で浪商(大阪)を降して3回目の優勝を果たし、
同年夏の全国高校野球選手権では池田(徳島)に勝って史上3校目となる春夏連覇。

この夏は3回戦で星稜(石川)と延長十八回を戦う名勝負を演じた。
最後の甲子園は91年センバツ。春夏計14回の甲子園で通算35勝(10敗)の戦績を残した。

 95年夏に監督を退き、97年からは日本高校野球連盟の役員。
現在は技術・振興委員長や理事を務めていた。


=========================================================

この夏は3回戦で星稜(石川)と
延長十八回を戦う名勝負を演じた。



語り継がれる名勝負、箕島 対 星稜の試合とは!?





============<報道ステーション 2009年2月3日>============


『最高試合と語り継がれる戦いがある。





その試合を見ていた少年、
後のメジャーリーガー・吉井理人

吉井理人(箕島高校卒業)
「野球するんだったら箕島だなと言う風に
 決定づけた試合でしたけどね」




1979年 夏の甲子園




箕島 対 星稜
午後4時6分プレイボール




4回表
石川県代表・星稜高校が先手を取る

4回表 星稜10箕島




春夏連覇を狙う
和歌山県代表・箕島高校がすぐさま反撃

4回裏 星稜11箕島




試合は1対1のまま延長へ


迎えた12回表
星稜が勝ち越しのチャンスを掴む

実況「ピッチャーの右!セカンドの前!
   おーっとセカンドこのボールを後ろに逃しました!
   12回表 星稜高校に1点が入りました」

12回表 星稜2ー1箕島


春夏連覇に後がなくなった王者・箕島
その裏、反撃の糸口さえ掴めず 2アウト

箕島高校監督(当時) 尾藤 公
「この試合もう勝ちはないかなぁ
 敗戦インタビューで何を言おうかなぁと
 ふと考え始めましたけど・・・」


その時、バッターの嶋田が突然ベンチにひきかえしてきた

箕島 嶋田宗彦
「監督!僕、ホームラン狙っても ええでしょうか!?」


初球ボールの後の2球目。

予告同点ホームラン。

甲子園が奇跡を生んだ

12回裏 星稜2ー2箕島



延長16回表 星稜の攻撃

実況「1球目を打ちました!ライトの右、ライトが追った
   ワンバウンド、ヒット!3塁からホームに入りました!」

16回表 星稜3ー2箕島



またも星稜にリードを許した箕島は、その裏も2アウトを取られ
再び絶体絶命のピンチを迎える

打席には2年生・森川

実況「2アウトランナー無し
   初球を狙った!打球は上がった!
   ファースト右のファールフライ!
   ファースト構えた・・・・・

実況「転んだーーー!!
   人工芝に引っかかりました」


ファースト・加藤
この年から敷かれたばかりの人工芝に足を取られ転倒。

ゲームセットを告げるはずのフライが
ただのファールになってしまった

その直後







実況「2-1から5球目、打ち上げた
   レフトへ飛んだ!これも大きい!
   レフトバック!レフトバック!
   ずーっとバックだ~
   ホームラン!!


実況「甲子園球場に奇跡は生きています」


16回裏 星稜3ー3箕島




朝日放送アナウンサー(当時)植草貞夫
「2回もないだろうとは思いましたけどね
 奇跡っていうのは甲子園で起きるんだ、と。」


最後のバッターになるはずだった森川にとって
それは練習試合ですら経験の無い、初めてのホームラン。

甲子園が2度目の奇跡を生んだ


延長18回裏
星稜のピッチャー堅田の握力は
もうほとんど残っていなかった

208球目








18回裏 星稜3ー4×箕島

午後7時56分
3時間50分の死闘が決着した



作詞家の阿久悠さんは
この試合を最高試合と題し、称えた・・・。


「奇跡とよぶのはたやすい
 だが 奇跡は一度だから奇跡であって
 二度起これば奇跡ではない
 
 言葉がない
 言葉で示そうとするのが もどかしい

 一言でいいつくす言葉の奇跡が
 ぼくにはほしい」





この夏、箕島は優勝。
見事、春夏連覇を果たした。



勝利目前で転倒した
星稜のファースト・加藤は
複雑な想いを抱えて生きてきた

自宅にはいたずら電話がかかり
自殺したというデマが流れたこともあった






あの夏から15年後の秋
再び同じメンバーが集まった

目的は再試合

彼らの中では
あの夏はまだ終わっていなかったのだ

そこには加藤の姿も




試合は星稜が2対0でリードの最終回

2アウトランナー1・3塁のピンチを迎える




箕島はピンチヒッターに尾藤監督を送り
星稜はリリーフに山下監督

一打同点か?ゲームセットか?


箕島・尾藤監督が、星稜・山下監督の球を打ち上げる・・・。

打球は奇しくも、
あの夏と同じ






「あのファーストのせいで」と言われ続けた加藤が掴みとった

15年越しの勝利のフライ。




星稜高校元監督 山下智茂
「尾藤さんが“今日のヒーローは加藤だ!
 加藤はこれから人生の勝利者になれるからがんばれや”
 って言ってね。
 乾杯って・・・みんな泣きながらね。」



その後、加藤は
地元金沢で少年野球の監督を始めた

彼だからこそ伝えられるモノがある



再試合はその後も定期的に続いている

星稜高校元一塁手 加藤直樹
「まあ永遠に続けば良いんでしょうけどね。でも年齢もありますから。
 ただやっぱり最後には
 みんな思ってるのは甲子園でできればいいなぁ、と。」



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