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日本初の快挙達成です。

====<msn 産経ニュース 2012年1月25日>====
熊野TBがファイナル3団体に
「明日へのツーリズム賞」


 ■4月に最終結果 日本初の選出

 田辺市の社団法人「市熊野ツーリズムビューロー(TB)」は24日、世界旅行ツーリズム協議会(WTTC)が毎年選ぶ「明日へのツーリズム賞」の「デスティネーション管理」部門でファイナル3団体に選出されたと発表した。国内の団体では初で、4月に東京で開かれるWTTCグローバルサミットで最終結果が決まる。

(中略)

 同ビューローは平成18年設立。旅行者のニーズに対応した細やかなサービス提供を売り物にした、国内ではほとんど例のない着地型旅行業を営んでいる。インターネット上に英語の予約管理システムを構築。世界遺産の熊野古道や熊野本宮大社、本宮や龍神の温泉といった観光資源をメーンに、世界の旅行者の要望を受けて旅行の行程などを作っている。

 同ビューロープロモーション事業部長のブラッド・トウルさん(37)が、こうしたシステムを紹介するなど、活動や理念をまとめ英文で応募した。

(以下省略)
=======================================

ブラッド・トウルさん(37)キタ――(゚∀゚)――!!

ちょうど1年前のエントリーで注目した、カナダ出身の方ですね。

ブラッドさんが英文で応募し、これが日本初の選出となった、と。
いや~素晴らしいですね。


ちなみに、世界旅行ツーリズム協議会(WTTC)とは・・・
  ロンドンに本部があり、世界の旅行関連企業およそ100社で構成される
  民間の非営利団体です。
  「明日へのツーリズム賞」は、WTTCが世界各地で持続的な観光への
  取組みを行っている団体を募集するコンテストで、
  別名「観光のアカデミー賞」とも呼ばれている
・・・
だそうです。

しかしながら、まだファイナル3団体に選ばれた段階で、
最終結果は4月17日に東京で開かれる第12回WTTCサミットで発表。
争うことになる他の2団体は、ノルウェーとインドネシアなんだとか。


********
田辺市熊野ツーリズムビューローのスタッフ・ブログでは、
ブラッド・トウルさんの喜びの声が紹介されている。

  当ビューロープロモーション事業部長のブラッド・トウルは
  『明日へのツーリズム賞にノミネートされたことが、震災と台風の影響で落ち込んだ
  田辺市や周辺エリアの観光産業を蘇らせる力に繋がればと心から願っている。
  みなさん!「世界的観光地・田辺市」へ、ぜひ遊びに来てください!』
  と話しています。








「世界的観光地☆TANABE」

ブラッド・トウルさん、カッコ良すぎるわ。
何だか胸が熱くなるコメントだし。



ぜひとも、4月17日のWTTCサミットで受賞を決めて欲しいですね。

もし受賞が決まったなら、各メディアがこぞって報じるだろうし、
ブラッド・トウルさんが一躍時の人になっていることでしょう。
なんと言っても“観光のアカデミー賞”ですからね。

 #各メディアの皆さん、今すぐ密着取材を始めた方がいいんじゃないっすか??
  NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」
とか、MBS「情熱大陸」とか。


そして名実共に「TANABE ~ A World Class Sightseeing Destination~」に
なっているのも、そう遠くない未来なのかもしれない。




関連記事:カナダ出身のブラッド・トウルさんに注目!(2011.01.30)

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 前々回、前回に引き続き、尾藤監督について。

今回は、尾藤監督と関係の深かった人達のコメントを拾っていき、
そこから見えてくる彼の人柄を探ってみたい。


■東尾修


尾藤監督にとって東尾修氏との出会いは、
その後の人生を大きく変えるほどのインパクトだったようだ。


「東尾との出会いが人生を変えましたわ」
(07年に「ニッポン人脈記」のインタビューで、東尾修氏について)


「おれも監督1年生や。君も高校1年生。一緒に甲子園を目指そうや」
(1966年の監督就任を前に、有田市内のミカン畑で東尾修投手に)


=================<スポニチ 2011年3月9日>=================

さようなら尾藤さん 東尾氏「いい思い出は尽きない」

1968年春の箕島甲子園初出場時のエースで元西武監督の東尾修氏は
仕事の合間を縫って駆けつけ「一番の思い出はきょう、今です……」と
嗚咽(おえつ)交じりに言葉を詰まらせた。

「15歳と23歳で出会い、甲子園への夢を語り合い、それが実現した。
仲間を含め、いい思い出は尽きない」
========================================================


今年の1月、
東尾修氏の野球殿堂入りを記念したパーティーが和歌山で行われた。

そこに、闘病中の尾藤監督から音声メッセージが届いた。






=================<スポニチ 2011年1月24日>=================

東尾氏 恩師との“ミカン畑の会話”に目頭押さえて…


昨年1月に野球殿堂入りした東尾修氏(60=スポニチ本紙評論家)の
「祝う会」が23日、和歌山市のホテルで開かれ、
母校・箕島OBら300人以上が地元のヒーローを迎えた。

 がん闘病中で欠席した元箕島高監督の恩師、尾藤公氏(68)からは
録音メッセージが寄せられ

「ミカン畑の道を一緒に歩きながら
“甲子園へ行きたいなあ”と話したことを思い出す。

殿堂入りなんて、すごいなあ」
と声が流れると、東尾氏は目頭を押さえた。


 尾藤氏の言葉は続く。

「日本ハムに入った斎藤佑樹君が“仲間に恵まれた”と言っていただろう。
おまえも故郷の仲間やお世話になった方々を忘れてはいかん。
今後は恩返しで生きていけよ
 東尾氏は「尾藤さん……」と言葉に詰まった。

「今度は尾藤さんこそ殿堂に入るべき。資格は十分。皆さんもご協力ください」。
自身の晴れ舞台で恩師の殿堂入りを訴えかけた。

最近見舞いにいった際は「明るい会話ができなかった」と悔いた。
========================================================= 



「ほんまにおめでとう。
 まさか四十数年前にミカン畑で2人で歩きながら、
 甲子園行きたいなっていう夢を語ったおまんが殿堂入りするなんて……。
 すごいですね」

             (11年1月、東尾修さんの野球殿堂入りを祝う会にメッセージを寄せて)




■吉井理人


現在は、「祐ちゃん」こと斎藤佑樹投手の
専属広報的な扱いを受けている(?)・吉井コーチ。

箕島高校時代は尾藤監督の元で、甲子園に2回出場している。


=================<デイリースポーツ 2011年3月7日>=================

元箕島高監督・尾藤公氏の和歌山県有田市の自宅に7日、
日本ハム・吉井投手コーチやロッテ・上川内野守備走塁コーチらが弔問に訪れた。

吉井コーチは「安らかな顔をしておられた。
箕島に帰って来ると(尾藤さんのおかげで)昔の仲間や先輩と会うこともでき、
楽しい思い出しか出てこない」と語った。


=================<吉井理人ブログ 2011年3月6日>=================

わしの高校時代の監督、尾藤さんが亡くなりました。

野球で尾藤監督から受けた影響はない
(一般常識は、厳しく教えられた)と思っていたが、
最近、はっと気づいたことがありました。

尾藤監督は、投手に関しては放任主義だったのです。
(投手のことはわからないと言っていた)

フォーム、練習方法、配球、全ての投手に関することを選手任せにしていました。
そのおかげで、柔軟な頭で野球を考えられるようになりました。

それともうひとつ、ゲームは楽しむものということも、高校の3年間で教わりました。
日本のプロや大リーグで、ほんのちょっとでも活躍できたのは、
この頃の経験があったからだと思います。

今は、感謝の気持ちでいっぱいです。
(高校を卒業して疎遠になってしまったことを、今すごく後悔しています)

心から、ご冥福をお祈りします。
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■79年の星稜メンバー

毎年お正月の、松井秀喜との2ショットでもおなじみ。
現在は星稜高校の総監督を務めている。


星稜高校の山下総監督は
「延長18回の試合のことが、ここ2日間、夢に出る。
 寂しい。宝物を失った」。





当時の一塁手で、試合で“運命の転倒”をした加藤直樹さんは
「僕のことばかり気にしていてくれ、懐の広い人です。
 今年の年賀状は1枚じゃ書き足らず2枚送った。
 もっと話したかった」。




智弁和歌山・高嶋仁監督

甲子園での勝利数・歴代1位を誇る、この人からも。

智弁和歌山の高嶋仁監督は
「超えることのできない人と思っていた。打倒箕島を目指してやってきた」
と喪失感を口にした。





 前回に引き続き、尾藤公・元箕島高校野球部監督について。


===========<ABC NEWSゆう+ 2011年3月7日>============


1968年
和歌山県有田市にある箕島高校が
センバツ甲子園に初めての出場を果たします。




無名の公立高校の快挙に、小さな町は沸き立ちました。




チームを率いていたのは
25歳の青年監督・尾藤公さんでした。




2年後のセンバツ大会で
早くも全国制覇を成し遂げた箕島は
77年と79年のセンバツでも優勝。

そして79年の夏には春夏連覇を達成。




「(79年夏の対 星稜戦は)個人にとって
 全く宝物の様な試合っていう風に、感じてます。」




去年9月
1979年の箕島・星稜戦を戦ったメンバーらによるOB戦が
初めて甲子園球場で行われました。




癌で闘病中だった尾藤さんは
「絶対に甲子園に行く」と
気力を振り絞り車椅子で球場入りしました




ユニホーム姿でグラウンドに立った尾藤さんを
大勢のファンが出迎えました。




「あぁ、うわぁ、ようさん来てくれちゃあるなぁ。
 有難うございます。」





40年以上通い続けた甲子園。
尾藤さん程、甲子園の似合う野球人はいませんでした。




そしてこの日が尾藤さんと甲子園の
別れの日になりました。




「甲子園っていう所は・・・
そうやなあ・・・(絶句)。




僕にとっては
親父の様に、ものすごく厳しい所やなって感じたし、
おふくろの様にやさしいなあ、とも思ったし、

一方的に怖いなあっていうだけの所ではなかったし、

かと言って、一方的に優しいなあ・エエとこやなあって
そればっかりでも無かったし、

両方を持ち合わせてる所かなっていうのは
ずーっと感じてきましたね。

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尾藤元監督の語録
朝日新聞 2011年3月7日

「僕にとって甲子園というところは長嶋さんに似ている。
 永遠のあこがれという意味で」

                (95年、29年間の監督生活を退任して)


「命のほうは延長16回くらいまで来ているのかなあ。」
                (闘病中の09年7月、朝日新聞の取材に)





尾藤公 享年68

ご冥福をお祈りいたします。




野球王国・和歌山。

その歴史は意外にも古い。

第7回(1921年)・8回(1922年)大会の優勝校、和歌山中(現・桐蔭高校)や
第25回(1939年)・26回(1940年)大会の優勝校、海草中(現・向陽高校)。

1990年代以降から現在にかけては、春夏3度の優勝校、智弁和歌山。

その時代時代において、
多くの和歌山人が、甲子園で活躍する和歌山県勢に心を踊らせた。


そして忘れてはいけないのが、
1970年代に大活躍を果たした、箕島高校。

その活躍は、「野球王国・和歌山」を不動のものにした。


そんな箕島高校野球部の元監督・尾藤公氏が亡くなった。

=================<毎日新聞 2011年3月6日>=================

訃報:尾藤公・元箕島高野球部監督 全国制覇4度の名将


和歌山県立箕島高校の野球部監督として、
79年の春夏連覇など甲子園で4度の全国制覇を果たし、
ダッグアウトから選手を見守る「尾藤スマイル」で知られた尾藤公(びとう・ただし)さん
=日本高校野球連盟技術・振興委員長=が6日、ぼうこう移行上皮がんのため死去した。
68歳だった。

(中略)
 箕島高の4番・捕手を務め近畿大進学後に腰を痛めて中退。
3年間の銀行勤務を経て66年に23歳で監督就任。
68年の第40回選抜高校野球大会では東尾修投手(元西武監督)を擁して
甲子園初出場を果たし準決勝に進んだ。

島本講平投手(元近鉄)らがいた70年春には決勝まで勝ち上がり、
北陽(大阪)に延長十二回サヨナラ勝ち。初の全国制覇を成し遂げた。

 一時監督を離れたが74年秋に復帰し、77年センバツで再び全国制覇。
79年春は決勝で浪商(大阪)を降して3回目の優勝を果たし、
同年夏の全国高校野球選手権では池田(徳島)に勝って史上3校目となる春夏連覇。

この夏は3回戦で星稜(石川)と延長十八回を戦う名勝負を演じた。
最後の甲子園は91年センバツ。春夏計14回の甲子園で通算35勝(10敗)の戦績を残した。

 95年夏に監督を退き、97年からは日本高校野球連盟の役員。
現在は技術・振興委員長や理事を務めていた。


=========================================================

この夏は3回戦で星稜(石川)と
延長十八回を戦う名勝負を演じた。



語り継がれる名勝負、箕島 対 星稜の試合とは!?





============<報道ステーション 2009年2月3日>============


『最高試合と語り継がれる戦いがある。





その試合を見ていた少年、
後のメジャーリーガー・吉井理人

吉井理人(箕島高校卒業)
「野球するんだったら箕島だなと言う風に
 決定づけた試合でしたけどね」




1979年 夏の甲子園




箕島 対 星稜
午後4時6分プレイボール




4回表
石川県代表・星稜高校が先手を取る

4回表 星稜10箕島




春夏連覇を狙う
和歌山県代表・箕島高校がすぐさま反撃

4回裏 星稜11箕島




試合は1対1のまま延長へ


迎えた12回表
星稜が勝ち越しのチャンスを掴む

実況「ピッチャーの右!セカンドの前!
   おーっとセカンドこのボールを後ろに逃しました!
   12回表 星稜高校に1点が入りました」

12回表 星稜2ー1箕島


春夏連覇に後がなくなった王者・箕島
その裏、反撃の糸口さえ掴めず 2アウト

箕島高校監督(当時) 尾藤 公
「この試合もう勝ちはないかなぁ
 敗戦インタビューで何を言おうかなぁと
 ふと考え始めましたけど・・・」


その時、バッターの嶋田が突然ベンチにひきかえしてきた

箕島 嶋田宗彦
「監督!僕、ホームラン狙っても ええでしょうか!?」


初球ボールの後の2球目。

予告同点ホームラン。

甲子園が奇跡を生んだ

12回裏 星稜2ー2箕島



延長16回表 星稜の攻撃

実況「1球目を打ちました!ライトの右、ライトが追った
   ワンバウンド、ヒット!3塁からホームに入りました!」

16回表 星稜3ー2箕島



またも星稜にリードを許した箕島は、その裏も2アウトを取られ
再び絶体絶命のピンチを迎える

打席には2年生・森川

実況「2アウトランナー無し
   初球を狙った!打球は上がった!
   ファースト右のファールフライ!
   ファースト構えた・・・・・

実況「転んだーーー!!
   人工芝に引っかかりました」


ファースト・加藤
この年から敷かれたばかりの人工芝に足を取られ転倒。

ゲームセットを告げるはずのフライが
ただのファールになってしまった

その直後







実況「2-1から5球目、打ち上げた
   レフトへ飛んだ!これも大きい!
   レフトバック!レフトバック!
   ずーっとバックだ~
   ホームラン!!


実況「甲子園球場に奇跡は生きています」


16回裏 星稜3ー3箕島




朝日放送アナウンサー(当時)植草貞夫
「2回もないだろうとは思いましたけどね
 奇跡っていうのは甲子園で起きるんだ、と。」


最後のバッターになるはずだった森川にとって
それは練習試合ですら経験の無い、初めてのホームラン。

甲子園が2度目の奇跡を生んだ


延長18回裏
星稜のピッチャー堅田の握力は
もうほとんど残っていなかった

208球目








18回裏 星稜3ー4×箕島

午後7時56分
3時間50分の死闘が決着した



作詞家の阿久悠さんは
この試合を最高試合と題し、称えた・・・。


「奇跡とよぶのはたやすい
 だが 奇跡は一度だから奇跡であって
 二度起これば奇跡ではない
 
 言葉がない
 言葉で示そうとするのが もどかしい

 一言でいいつくす言葉の奇跡が
 ぼくにはほしい」





この夏、箕島は優勝。
見事、春夏連覇を果たした。



勝利目前で転倒した
星稜のファースト・加藤は
複雑な想いを抱えて生きてきた

自宅にはいたずら電話がかかり
自殺したというデマが流れたこともあった






あの夏から15年後の秋
再び同じメンバーが集まった

目的は再試合

彼らの中では
あの夏はまだ終わっていなかったのだ

そこには加藤の姿も




試合は星稜が2対0でリードの最終回

2アウトランナー1・3塁のピンチを迎える




箕島はピンチヒッターに尾藤監督を送り
星稜はリリーフに山下監督

一打同点か?ゲームセットか?


箕島・尾藤監督が、星稜・山下監督の球を打ち上げる・・・。

打球は奇しくも、
あの夏と同じ






「あのファーストのせいで」と言われ続けた加藤が掴みとった

15年越しの勝利のフライ。




星稜高校元監督 山下智茂
「尾藤さんが“今日のヒーローは加藤だ!
 加藤はこれから人生の勝利者になれるからがんばれや”
 って言ってね。
 乾杯って・・・みんな泣きながらね。」



その後、加藤は
地元金沢で少年野球の監督を始めた

彼だからこそ伝えられるモノがある



再試合はその後も定期的に続いている

星稜高校元一塁手 加藤直樹
「まあ永遠に続けば良いんでしょうけどね。でも年齢もありますから。
 ただやっぱり最後には
 みんな思ってるのは甲子園でできればいいなぁ、と。」



 和歌山人ならどれか1つ位、想い出があるのでは?

そんなニュースをご紹介。


===============<ニュース和歌山 2011年3月2日>===============

和歌山遺産 認定証


ここに挙げた皆さんは身近に和歌山を感じさせてくれる貴重な存在です
ニュース和歌山の第二回和歌山遺産に勝手ながら認定させて頂きます
今後も故郷の薫りを放たれることを期待します

ニュース和歌山編集部


1)じゃんけんロボット
2)紀伊中ノ島駅の柱
3)元祖丸正のたこやき
4)喜の国信号
5)平和の鐘打鐘会
6)河西橋
7)大池遊園のボート
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こども科学館の「じゃんけんロボット」(笑)


まだ現役だったんっすか!?



1)発明遺産 じゃんけんロボット

 こども科学館(和歌山市寄合町)入口に立ち、子どもたちをじゃんけんで迎える。
1981年の開館から勝負を挑み続け、これまで100万人以上を相手にしてきた強者だ。
「ジャンケンポン」の掛け声に合わせて
グー、チョキ、パーのボタンを選ぶだけのシンプルなゲーム。
普段は座っているが、勝負の際には2メートルある体を起き上がらせ、
右腕からランダムにこぶしを繰り出す。
2005年には、挑戦者が負けかあいこのときのみに使える再挑戦ボタンが設置された。
5回連続で勝つと恋愛が成就するというウワサも。
ポーカーフェイスのみらいくん。きょうも訪れた子どもたちに真剣勝負を挑む。






今年で30歳(笑)



先日放送の、NHK「爆笑問題のニッポンの教養」では、
脳波を読み取ってじゃんけんに勝つロボットなんかが
紹介されていたこのご時世に、このじゃんけんロボットは・・・


「右腕からランダムにこぶしを繰り出す


だけです。



子供ながらに、
「メダルゲーム『ジャンケンマン』の方が面白いなぁ」
と思ったものです。

■アーケードゲーム「ジャンケンマン」

ブラウザー上で実際に遊べます



6)交通遺産 河西橋

 あと3年で百歳の「河西橋」は紀の川の河口、北島橋と紀ノ川大橋の中間に架かる古い橋。
渡るのに少し心もとないが、レンガ造りの橋脚からは戦前戦後が濃厚に香る。
そもそも1911年(明治44年)に開業した加太軽便鉄道の紀ノ川橋梁として14年に架けられた。
戦後は和歌山市、東松江間を走る南海加太線北島支線として使われたが、ジェーン台風で損傷。
一時使われなくなったが、54年に市に譲られ、河西橋となった。
行き来は歩行者と自転車、バイクのみ。遠くに見えるのは住金の工場と和泉山脈。時間の流れが遅い。



こちらは97歳。

よく自転車で通りました。
写真からも、道のでこぼこ感が伝わってきます。


いやぁ~懐かしい。





********
以上の記事は、第二回和歌山遺産。

ということで、第一回和歌山遺産についても検索してみる。


===============<ニュース和歌山 2011年1月3日>===============

ふるさと宝物プロジェクト
未来に輝く和歌山遺産


 世界遺産の高野・熊野、里山保全活動が日本ユネスコ協会連盟の
プロジェクト未来遺産に認定された海南市の孟子地区、
昨年、国の名勝となった和歌の浦……。

私たちが暮らす和歌山は、見渡せばきらっと光る宝物がいっぱいです。
ニュース和歌山編集部は魅力あふれる宝箱の中から、
7つを独断で「和歌山遺産」に選定しました。

地元で長く愛され続けるあの味やあの曲、最近注目を浴び始めたあのスポット、
未来に伝えたいあの景色……。それでは第1回和歌山遺産を発表いたします──。


1)グリーンソフト
2)和歌山ブルース
3)岡公園のすべり台
4)片男波海岸だるま夕日
5)バスケットピンポン
6)メロディーロード
7)日本一楽しい山彦スポット
=========================================================

3)遊具遺産 岡公園のすべり台

 幼いころ家族に手をひかれて来た和歌山城。
その途中、立ち寄った岡公園で大きさに呆然とし、
怖くて登るのをためらった経験は、多くの和歌山市民の心にある。

岡公園の巨大すべり台。
1965年に和歌山市の単独事業としてブランコなど幾つかの遊具とともに設置された。
直径11メートル、高さ5メートルのコンクリート製で、
市公園緑地課によると、おそらく市内では最大。

一人で登って一人ですべり、“一人前”を感じる子どもたちは世代を超える。
ちなみに正式名称は「プレイマウンテン」。山なのだ。




この記事の文章も良いですね。

怖くて登るのをためらった経験は、多くの和歌山市民の心にある。
一人で登って一人ですべり、「一人前」を感じる

世代を越える、和歌山市民の共通体験。





********
和歌山を懐かしむ、良い記事に巡り会いました。


が、しかし!


第一回が今年の1月で、第二回が3月って、
ペースが早すぎやしませんか!?

人気記事なんでしょうが、
あっと言う間に、ネタ無くなっちゃいますよ?
ニュース和歌山さん!




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